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<地方都市の概要>
臼杵市(うすきし)は、大分県の東海岸に位置する市。
【醸造・造船で繁栄】
中心部はリアス式海岸に囲まれた三角州。
戦国時代に大友宗麟が築城、ポルトガル・オランダとの交易で栄え、
以後幕末までは稲葉氏5万石の城下町。
主産業は造船業、醸造業と観光業。
05年1月に野津町と合併し、新・臼杵市に。
【日本の心が育つまち】
将来像は「日本の心が育つまち」。
古くから受け継がれてきた自然や風土、歴史、伝統、文化、町並みを愛し、
誇りを持ち、大切に守り、残し、育て、うまく活かしながら、
単に経済的な豊かさや都会的なものを求めるのではなく、
心のつながりを大切にし、優しさや温かさを感じながら共に力を出し合い、
助け合い、たくましく暮らしていけるまちをめざす。
06年度から市総合計画がスタート。
【詳細検索の説明】
- 検索条件
キーワードを複数指定したい場合に有効です
キーワードはスペース(空白文字)で区切って複数指定することができます
[すべての語を含む] ・・・指定したすべてのキーワードを含むデータのみ検索します
[いずれかの語を含む] ・・・指定したキーワードが一つでも入っているデータを検索します
- 検索式を使用
このチェックを入れるとキーワードを検索式として検索することができます
[使用可能なオプション]
and ・・・このオプションに続くキーワードを含むデータを検索します(AND条件)
or ・・・このオプションに続くキーワードを含むデータを検索します(OR条件)
not ・・・このオプションに続くキーワードを含まないデータを検索します
たとえば「ホーム」というキーワードを含んで「ホームページ」というキーワードが含まれないデータを検索する場合は、
ホーム not ホームページ
とキーワード欄に記入してください。
- 検索エンジン
使用する検索エンジンを指定します。
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- カテゴリ指定
検索するカテゴリを限定することができます。
指定しないを選択した場合にはすべてのカテゴリから検索します。
[オプション]
指定カテゴリのみ ・・・選択したカテゴリのみを検索対象とします
指定カテゴリ以下 ・・・選択したカテゴリとその下の階層にあるカテゴリを検索対象とします
- 日付指定
データの登録日/更新日を検索対象に指定することができます
[コマンドの説明]
today-x ・・・本日を基準に日付を指定するコマンドです
(例1)本日登録/更新されたのデータを検索する場合
today とコマンド欄に入力する。
(例2)10日前に登録/更新されたデータを検索する場合
today-10 とコマンド欄に入力する。
year/month/day ・・・西暦で日付を指定するコマンドです
(例1)2000年5月15日に登録/更新されたデータを検索する場合
2000/05/15 とコマンド欄に入力する。
(例2)1999年10月25日に登録/更新されたデータを検索する場合
1999/10/25 とコマンド欄に入力する。
[start_day]-[end_day] ・・・本日を基準に指定した期間中のデータを検索するコマンドです
(例1)30日前〜本日までの間に登録/更新されたデータを検索する場合
30-0 とコマンド欄に入力する。
(例2)100日前〜50日前までに登録/更新されたデータを検索する場合
100-50 とコマンド欄に入力する。
- カテゴリ名検索
キーワードでカテゴリを検索することができます
「しない」にチェックするとカテゴリを検索しません
- 検索結果画面の開き方
検索結果画面の開き方を選択することができます
ブラウザの設定でJavaScriptを使用しない設定にしている場合には動作しません
検索オプションとしては保存されません
- 検索オプションを保存
この項目にチェックを入れると詳細画面での検索時に前回検索時に使用したオプションをあらかじめ選択された状態にすることができます
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■臼杵磨崖仏■
臼杵磨崖仏(うすきまがいぶつ)は、大分県臼杵市深田にある4群60余体の磨崖仏である。
「臼杵石仏(うすきせきぶつ)」の名で知られている。
1952年(昭和27年)国の特別史跡に指定され、1995年には(平成7年)国宝に指定された(指定対象は59躯)。
磨崖仏としては日本最初、彫刻としては九州初の国宝指定となった。
石仏造営の時期や事情を証する史料は一切残っていない。造像の経緯については民話・伝承により諸説あるが、
臼杵市観光協会は民話「真名野長者伝説(炭焼き小五郎伝説)」による、
長者が亡くなった娘の菩提を弔うために彫らせたという説に基づいた観光アピールを行っている。
山岳仏教の衰退と共に忘れ去られてしまった磨崖仏は1000年の風雨に曝され続けることとなった。
元々阿蘇山からの火砕流が溶結した凝灰岩に掘られた石仏は脆く、
また参拝者によって自然にできた道が大雨の際は川に変わり、石仏を削り取って行った。
現在も多くの石仏の下半身が切り取られたように無くなっているのはそのためである。
劣悪な環境の中で仏頭の多くが剥落し、中でも古園石仏の大日如来像の仏頭は、
1994年(平成6年)3月に保存修復が完了するまでの間、仏体下の台座に置かれたままであった。
臼杵駅にある仏頭のレプリカは復元前に作られたため、この時の状態をよく表している。
なお、V字型の谷になっていた周辺の地形は、保存修復工事の際、
石仏が彫られていない方の壁が切り崩されて麓の里まで水を止めるものがなくなり、
また、石仏の周囲には排水設備が導入されたため、現在は石仏の下に水流ができるということはない。
■真名野長者伝説■
真名野長者伝説(まなのちょうじゃでんせつ)とは、大分県に伝わる民話である。
大和朝廷の時代、都に、顔に醜い痣のある姫がいたが、
仏のお告げに従って豊後国深田に住む炭焼き小五郎の許へ行き夫婦になる。
2人は数々の奇跡により富を得て長者となり、1人の娘が生まれた。
般若姫と名付けられた娘は都にまで伝わるほどの美女に成長し、1人の男と結婚するが、
実はその男は都より忍びで来ていた皇子(後の用明天皇)であった。
皇子は天皇の崩御により都へと帰ることになったが、姫は既に身重であった為、
「男の子が産まれたなら、跡継ぎとして都まで一緒に、女の子であったなら長者夫婦の跡継ぎとして残し、
姫1人で来なさい」と告げて帰京してしまう。
産まれた子供は女の子であった為、姫は1人で船に乗り都を目指すが、途中嵐に会い周防国大畠に漂着する。
村人による介抱も虚しく数日後に姫は逝去してしまう。
姫の死を悲しんだ長者は中国の寺に黄金を送ると共に、深田の岩崖に仏像を彫らせた。
その仏像が現在も残る国宝臼杵石仏である。
という物語である。